生きることの意味がたまにわからなくなる

どうもぐっちです。

引き続き消耗しているので少し低空飛行させてください。
ネガティブな考えに浸っていますが、
こんなこと考えてる時もあるんだな程度で流してください。

今日は
「生きることの意味がたまにわからなくなる」
について考えてみたいと思います。

※普段はこんな記事書かないので興味ない方は以下の記事とかどうぞ。

【kinukog】これまでに撮った写真【ギャラリー】

2019年10月10日

【随時更新】僕が行ったことのある国のまとめ【各記事へのリンク】

2019年9月24日

生きることの意味がたまにわからなくなる

僕は一定期間ネガティブな思考に浸ってしまうと、
生きる意味を考えはじめるようです。

これまでも何度かあったような気がしますが、
今回はわりと絶望しています。

なぜ絶望しているかというと、

  • 生きるためにはお金が必要
  • お金を稼ぐためには労働をしなければならない
  • 労働したくない

という感じです。

将来的に圧倒的に楽しい何かが待っているとも思えないので、
「なぜ生きているのかな?」
と思ってしまうわけです。

そして、僕はぶっちゃけ労働をしたくないです。
「労働することは生きることだ。」
とは理解できません。

自分でもよくわかってないのですが、
「生きる」
ということを深く理解しないまま
生きている人間になりたくないのかもしれないです。
ひねくれてますが。

例えば、
極限までお腹が空いたりしないと生きてる実感ってないじゃないですか。

朝だからご飯食べるとか、大学を卒業したから働くとか
なんかそんなきちんと本質を理解していないのに、
周りがやってるからそうやらなければならない。
的な考えをちょっと否定したいのかもしれません。

かなりひねくれてますね。

要は、自分の思うままに生きたい。ということですよね。
今日はお腹が空いてるから1日5食食べようとか、
眠たいから昼過ぎまで寝ようとか。

そしたらそれを実現させるためにはどうしたらいいか。
ということですが、圧倒的な資金が必要ですよね。
そのためには圧倒的な労働量が必要です。
ってなると、周りに合わせた生き方をしなければならなくて…。

って感じでネガティブな思考のスパイラルです。

ひとまず僕はフリーランスという道を辿ってみて、
割と自由に生きられるのか検証したいと思います。

時間と場所を自由に選択しながら生きてみて、
お金を稼いで投資でお金を運用して。

さっさと「こう生きなければならない」スパイラルから脱却したいと思います。

釈迦が唱えたように
「現世を生きることは苦しいこと」
というのはあながち間違いじゃないですね。

以上です。